実家にて、今も昔も変わらないわたしの性質を想う

 

いま実家に帰省中で、あまりにもやることがなくMacもないので、アプリから初投稿。

しかし田舎にいると、本当に時間はゆるやかに流れる。
わたしの住んでる場所も決して都会ではないけれど、こことは全く違う空気と時間が流れてる。

 

家事と仕事がなければ、こんなにも時間はゆるやかで、思索にふけることのできる余裕ができるものか。
帰省先の実家まではわずか1時間半で行ける距離だけど、それでも違いがすごい。

 

雨がしとしとと降る家の中は親類達の声で賑やか。

 

生まれて間もない赤ん坊、数年ぶりの従兄弟、たくさんの子供たち、賑やかな居間。
スイカとアイスバー、夜は花火、どこまでも続く海。
日本の夏。

普段昼間に眠気などめったに起きないわたしが、庭を見ながらうとうとしている。
自分が20も年老いて隠居してるかのような錯覚に陥る。

 

やはり田舎は、若いうちに住み着くにはエネルギーの着火や挑戦への奮起には難いのかもしれない。

 

そしてわたしは昔からこうやって人がたくさん集まる空間が苦手で、小さい時はこういう時、ひとりになりたくて二階にこっそり逃げ込んでいたなと思い出してみている。

 

そして実際今も、わたしは別室に逃げ込んでひとりをキメこんでいるわけで。

 

人間の根っこというのは笑っちゃうくらい、変わらないものだ。
大人になって身につけた処世術なんて、心からリラックスしたい欲求の前にはいとも簡単に化けの皮が剥がれる。

 

みんな一緒に〜〜しよう、と大人に声をかけられるのも好きじゃなかった。

 

ひとりで遊ぶのが好きな人間にとって、それを可哀想なことと一方的に思われて気を遣われることほど、酷なことはない。

 

その子の性質によっては、ひとりで放っておいてあげることが最良の場合もある。
子供がすべからく、子供同士で遊ぶことを楽しみとしているわけではないのだ。

 

そんな自分の幼い頃を思い出し、今の姿と重ねてふっとひとりで微笑んでいる、今年のお盆でありました。

 

 

 

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