今日は育児について話していきます。
わたしには19歳と12歳の息子がおり、この兄弟は面白いほどに特性が違います。かつ、お互いに(今のところ)異質なためか、ほとんど交流がありません。年が離れているということもあり、小さい頃から兄弟で遊ぶということはほぼ皆無で、わたしにとっては一人っ子をそれぞれ別に育ててきたような感じがあります。
長男はとても慎重で、ルールを重んじるタイプ。親のわたしが言うのもなんですが、とても聡明で理知的。物事を分析するのが上手で、よく言葉を知っている。時折わたしがおお!と思うような熟語や単語をサラッと会話に入れてくるので、話していても感心することがあります。かつわたしが抜けている面をバシッと的確に指摘してくるので、よく論破されています(T∀T;)
次男は長男とは違い、聡明さというのは全くなく、じっとしているのが苦手。机に座ってお勉強というのは苦痛で、とかく体を動かしていたい感じ。体育がいちばん好きで、身体的なスタミナもある。難しいことを理解することはできないけれど、人を思いやる心はあるようで、先生からはその点をよく褒められる。妙なユーモアセンスがあり、とにかく自由。人になんと言われようと、自分のペースを貫く。
このようにうちの息子たちは、それぞれに性質が全く違います。
この二人にわたしが同じような育て方をしたところで、持って生まれてきた性質が違うのだから、同じように育つはずもないわけで。
わたしは子育てにおいていちばん大事なことは、
【子供の人生の邪魔をしないこと】
だと思っています。
言い換えれば、子供を自分の理想通りにコントロールしようとしないということです。
子供には子供の持って生まれてきた特性とキャラクターがあり、それを重んじた上で、彼らをありのままに見守っていく。そこに、自分が子供時代に植え付けられてきた価値観を押し付けないということ。
人生の邪魔をしないということにもう一つ付け加えるならば、子供が目を輝かせているようなワクワクする対象を一緒に見つけてあげて、それをもっと伸ばしてあげるということです。大事なのは、決してそこに、自分が理想とするような形を持ち込まないということ。
つまり自分の理想の息子・娘の鋳型に、彼らを押し込めないということです。
親にはどうしても欲目というものがあり、【女の子ならこういうことができれば素敵】だとか、【少しでもいい学校に】とか、とかく自分の理想を子供に投影しがちです。あるいは、自分がコンプレックスを持っていることを子供にマスターさせたがる。
そういうことは、すべて親のエゴです。
それらを一切手放し、彼らが時間も忘れて没頭していることや、ワクワクとしていることを見つけて、それを見守ってあげる。たとえ人生には全く役に立たないようなことに見えたとしても、そのステップアップやレベルアップになるようなことを助ける。それをさらに楽しむ手助けをしてあげる。
それが、親が子供にできることだとわたしは思っています。
子供が夢を持って取り組んでいることを妨げ、自分の理想の型に押し込めることこそが、子育てにおいて最もやるべきことではないこと。彼らはたとえ小さくて無力であっても、いち個人としてのパーソナリティがあり、人格があるのです。それを一切考慮に入れず、世間的に良しとされていることを(彼らが全く興味を示していない、楽しそうに取り組んでいないにも関わらず)彼らに強いることは、彼らの人生を邪魔していることに他ならない。
そして、自分が持っている価値観や概念を彼らに押し付けることも、親のエゴだと思っています。
例えば【好き嫌いをしてはいけない】というこの概念。これを元に子供の好き嫌いをなくそうとし、彼らが嫌がってる食べ物を無理やり食べさせようとすること。【好き嫌いがないことは良いことだ】とわたしたちは親や学校に教え込まれましたが、それは本当でしょうか?
実際に自分も含め、周りの大人たち。食べ物の好き嫌いが皆無な人なんて、ほとんどいないですよね?
仮に好き嫌いが全くない人がいたとしても、それがその人の素晴らしさに直結するのでしょうか?その人の幸福度に繋がっているのでしょうか?
そう考えたら、好き嫌いがあるなし、んなこと大した問題じゃないのです。
この例のようにわたしたち大人は、育児に対して実に多くの決めつけを持っています。〜したらみっともない、〜くらいはできなきゃならない。こういう決めつけを多く持っていればいるほど、子供に対して制限をかけることになります。
親はこういうことで彼らをいちいち制限し、思い通りにコントロールしようとしがち。
なので育児においては、自分がどんな決めつけをもっているのかというのがとても大事になるのです。
自分が正しいと思っていること。
それは本当に彼らを幸せにするものなのか?彼らに人生の楽しみを感じさせてあげられるものなのか?
自分が親として立派に思われたくて、彼らに強いていることはないか?
自分の価値観を押し付けるよりも親がやるべきことは、彼らに生きる楽しさを与えてあげることだとわたしは思っています。
人生は辛いものだ、世間は厳しいものだと教えるのではなく、自分次第で人生はどれだけでも楽しくなるのだということを理解してもらうこと。
それを子供に感じてもらうために、親自身がハッピーでいなくてはならないのです。
大人になるのは楽しいことなんだ!と彼らに理解してもらうこと。そういうイメージを持ってもらうこと。
そのために親自身が人生を楽しみ、彼らのワクワクを手助けし、彼らの人生の邪魔をしないこと。自分とは違う人格を持った命を、自分が一時的に預からせてもらっているという気持ちで、わたしは息子たちを見守っています。
そのおかげかどうかは分かりませんが、長男はわたしが勉強や進学を勧めたわけでもないのに、自分の努力と意思で大学に進みました。わたしは彼に勉強しろと言ったことは全くないのですが、勉強にとても適性があったのでしょう。小さい頃から、何を言われるまでもなく勝手に勉強していました。県内の大学に行って欲しいという想いもなかったので、息子が県外に出たことはむしろ彼にとってのいい経験になると思っています。
次男にはそういう気配が全く見当たらないのですが、同じく勉強しろとは言っていません。その代わり彼は、何を言われるまでもなくボールと戯れて、体を動かしています。ユーチューバーにも夢中ですが、それに関してもこっちは何も口は出しません。学校で散々行動を制限されているのに、家でもそれでは息が詰まると思ってのことです。
その子その子の好きなこと、得意なことを、そのまま見守っていく。型にはめない。
わたしの育児スタンスは、こんな感じです。
☆noteもちらちら更新しております。
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